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04.24
Sun
5月は定例月曜の「ストレッチ&ピラティス」鳩の会と
金曜ゆふつづ舎ワークショップのほか、
イレギュラーなワークショップが3本。
☆身体の知覚♯2 5/7(土)10:00~17:00詳しくは前の記事へ
☆神田楽道庵月曜ワークショップ5/16(月)横滑ナナスペシャル 19:00〜22:00
☆ゆふつづ舎野外舞踏ワークショップ 5/22(日)15:00〜日没

それぞれに、ワークの内容の切り口は変わります。
・・・こうして、各角度からの内容について考えていると、
なんだか横滑ナナを丸さらしにするみたいな感覚・・・
ちょいと恥ずかしい
ワークショップって、参加する側にとっても、ある種のカミングアウトであったりしますね。
主宰、エデュケーションする側も、大いなるカミングアウトだなあと。

ご参加お待ちしております!
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04.24
Sun
キッドソロ仮

04.18
Mon
【キッドアイラック・アートホール4月10日〜11日
表相標本箱Ⅱ 舞踏作品「死の棘」スタッフとして立会ました】

主催で主役でもあるAya Tanakaさんから、「稽古にも立ち会ってほしい」との連絡もあり、
スケジュール都合で立ち会えたのは直前の1週間前の稽古から。
実際は、この公演の稽古をスタートする当初から、
出演者と、コントラバスを吊ってその綱もとを操作するスタッフ、映像記録するスタッフが
がっちりと稽古場に常に立ちあって、意見をだしあいつつ進めていくという形でした。
遅ればせの稽古参加ですから、本質的な意見は言えず、踊りとしての所作的なことや、
見え方のようなアドバイスに終始したような感じでした。
私自身、こんな風にスタッフとして作品づくりに関わることは初めてでしたので、
ある意味で、真剣にこの公演の在り方を考えました。

最終日を観ながらにしてわかったことは、
この舞台は、舞踏作品「死の棘」ではなく、
表相標本箱Ⅱ「死の棘」である、あるいは、
演劇作品「死の棘」だということ。
宣伝の途上で、「舞踏」と銘打ち「演劇ではない」と説明している舞台であることに対し、
私が過剰にこだわってしまったのかもしれませんが、
稽古中から本番までの作品としての作り方や、考え方、思考にどうしても疑問符が多くなっていた事を、
直前の稽古にしか関わっていないのに、この事を話すことは時間的にも無責任だと思い、しまってきました。
また、こうしたつくり方が、舞台として「舞踏」として可能性があるのかどうか?
それは蓋を開けてみないと解らないよな、という期待もありました。
でも、終わってみて、やはり、しまったままにしておくと、
私自身が「次」へ向かっていけないと思いました。
もちろん、出演者、スタッフの方々、皆さんそれぞれ「次」の舞台と、日常へ向かっている今。
私の自分勝手な自意識とか我欲にすぎないのですが、
文字にしておくこと、公にしておく事も大切かなと思いました。
なによりスタッフとして「横滑ナナ」の名前で参加した責任とかからも。

物語も空間も、「踊り」が立ち上がってこそ、形づくられるものだと思います。
それが舞台であるとも思います。

私が感じていた違和感は、
このことと逆のベクトルで稽古が行われてきていることでした。
結果、今回の「死の棘」には「踊り」は存在せず、
美術と既存の物語のために於かれた体があるということ。
唯一、コントラバス(役名マヤ)河崎さんはその空間を原点へ壊そうとするかのようなパフォーマンスであったために、
私は救われました。

何を踊ろうとし、
原作「死の棘」の世界の、何を伝えたかったのか。
原作にあるシーンや理論やイメージや外側の映画や美術のそれではなく
出演者それぞれの、今までの人生経験や思いの全てから、
身体が勝手にこぼしてくるものを、最初に抽出するべきではないか・・・・
そこには自分の内側をえぐり続ける強烈な孤独な時間が存在するはずです。
そしてそれは稽古はもちろん本番終わるまで続き、刷新され続けることです。いわばM的な。

ある意味ではその時間こそが踊りであり「舞踏」だとも思います。
舞踏を観たいお客さんの多くは、それを期待しているのではないかと思います。(私の経験上)
踊りさえたちあがっていれば、コントラバスを吊らなくても、落ちてくる鍋がお客さんに見えるはずだし、
半紙をしかなくても、ばらまかれた原稿用紙が空を飛ぶのがみえたはずです。
順番が違うな、と・・・。
踊り手のお客様(特に舞踏の)の多くが、「舞踏」と銘打たれたものに何らかの期待をして観に来て、
結果、
「身体がなにも存在しない」その要因として「つくりかた」の問題を指摘していることも、
私に届いてきた感想でもありました。
では、私も当初から稽古に参加し、その進め方と考え方について自分の考え方をしまうことなく話していたら、
本番へ向けて変わったのか??ということも考えました。
でも、結論は変わらないであろう事、結果的に混乱をまねき余計な遠回りをするに過ぎず、
結果は同じであっただろうと思いました。
なぜなら、「今までの数十年、ずっとこのやり方を愛おしく感じて続けてきた身体」が稽古でみえたからです。
それを完全否定できるほど、彼らとの関係は深くないということ。
それでも・・・関わった以上はなにかしら、表明すべきだったのでしょうか??無責任、だったでしょうか??

演劇作品だとすれば、言葉(せりふ)のない世界観を作り上げた斬新な「死の棘」として素晴らしい舞台といえます。
また、表相標本箱という言葉にもフィットする「物語」「身体」「即興音楽」の位相的な在り方、
としてやはり斬新な舞台です。
そうした意味で、センスよく美しい舞台でした。

ただ、私は舞踏家と名乗り、
そのリスクに対して全部の覚悟をきめていろいろと損をしながらやり続けているので、
どうしても意見として表明しておきたいと思いました。
・・・というのも、私もまだまだ、そういう自意識の呪縛にとらわれているということですから、
舞踏を語るなんてできないはずなんですけどね。

何はともあれ、皆さんの力が結合し最大の努力をしたこと、
当日券の入場を制限するくらいに多くのお客様がいらっしゃった事で、
ほんとうによい春の舞台となったこと、、は間違いありません。
本当に良かったと思っています。

そして、関わらせていただけた事に感謝いたします。
皆様の次なる挑戦の旅を応援いたします!!
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04.07
Thu
年1回くらいのペースで続けてきたソロ舞踏公演、
この数年は、作品、というよりも自分の踊りのスタンスをみつめ直し、
ある意味では「誠実」に舞台とむきあう事を土台にしてきた。
身体にも心にも嘘はつかないということ。
心身が、ほんとうに弱っていたこともあり(特に心)
「どうやって踏み続けるのか」ということだけで精一杯だったかもしれない。
社会的な意味では人生このかたないくらいの不条理と困窮とに苛まれているものの、その問題は別として、
!!!今年はとてもとても元気である!!!
6月の「ゆふつづ抄〜サイプレス版〜」は、
秋に予定しているソロ公演新作のためのシーンづくりでもある。
無音と室内の自然光ゆふつづ時間、、、
今はまだ書けないが、新作のテーマに大きく絡まり、
はっきりと身体に刻印したい事。
秋のソロ公演はキッド・アイラック・アートホールにて
10月28日〜30日の3日間予定。

どうしてもこの空間で成遂げたいことがある。
ここ数年の自己への祈りのようなソロ公演とはがらりと変わり、
「作意」も存分に抽出していく。
同時期に、ひとつ、大きな公演への出演も決まっており、
これも、もう一生二度とないかもしれない有り難い機会。
桜とともに、ゆふつづ抄からのこの二本の舞台へ向かっての長距離ランがスタートをきった。


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04.01
Fri
日時:2016年3月27日(日)
会場:明大前キッド・アイラック・アート・ホール1F
出演:
【1幕目】17:00〜
田山メイ子(舞踏)× 吉本裕美子(ギター)
田村のん(舞踏)× 本田ヨシ子(声)
【2幕目】19:30〜
今野眞弓(舞踏)× ノブナガケン(音)
横滑ナナ(舞踏)× 本田ヨシ子(声)

明大前キッドにて、田山メイ子さんが主催する舞踏家と音楽家の即興セッション『Lady Bird 天道虫 Lady Bug』の第二弾が開かれました。田山さんと親交の深い木村由さんが先行した音と身体の即興セッションというスタイルは、音楽ではお馴染みのものでも、ダンスや舞踏の場合、これまでそれ相応の規模でおこなわれるべきものと思われてきた作品制作より、心理的にも経済的にもハードルの低いステージを可能にしてきました。日常的におこなわれる即興セッションは、仲間内の交流にとどまるケースも多々あり、功罪は両面あるように思われますが、公演数が極端に低い舞踏の場合、現場の経験を積むことによってしか達成されない身体の自己確立といったものに向かう積極性を鼓舞する点で、功の側面がはるかに大きいと思います。即興ダンスができるかできないかというようなことは、それを技術としか思っていないために起こる躊躇の感情で、他者の視線にさらされる現場に変わりはなくても、自分の、あるいは身体表現の可能性を開くためにするものと、とりあえずはざっくり考えておいてよいのではないかと思います。

今回、4つのデュオでプログラムを組んだ田山さんの意図は、即興演奏家──とりわけヴォイスの本田ヨシ子さん──を他の女性舞踏家と出会わせるところにあり、プログラムはいずれも初顔合わせとなりました。前後半で二度出演することになった本田さんは、田村のんさんとの共演では、床に座ってエレクトロニクスを使いながら拡張されたヴォイス演奏をし、横滑ナナさんとの共演では、上手の椅子に座って地声で歌い、身ぶり手ぶりを加え、さらには会場を一周するという対照的な演奏をされました。4つのセッションがそれぞれに特色のあるものとなったのは、ミュージシャンやダンサーの個性の相違はもちろんのこと、照明を担当された早川誠司さんの演出にも多くを負っていたように思います。持ち時間は各組40分。いずれもゆっくりとした動きを構成する静かな舞踏の会でしたが、神は細部に宿り、4人の女性舞踏家がそれぞれに固有の質感を際立たせて競いあう内容は、他では見ることのできないものでした。

プログラムのトップは、ステージ中央に立ってギターを弾く吉本裕美子さんに対し、ジーパンに茶色のTシャツというカジュアルな衣装を身に着け、吉本さん愛用の帽子によく似た帽子をかぶった田山さんが、演奏者の周囲をいくつかの形を作りながら一周、最後に出発点へと戻っていくパフォーマンスでした。音楽にではなく、演奏者の身体に対するアプローチといえる関係の作り方でしたが、公演前半、四角いスポットのなか、わずかな動きをくりだしつつも上手の壁前に座りつづけたダンサーが、動きへと決壊していく瞬間が印象的でした。公演の全体を通して、出演者の誰もが、自己を主張することでセッションをリードするような態度をとることなく、舞踏家が演奏家の身体に接近するというクライマックスをパフォーマンスのどこかに作りながら(これに身体的に反応したり応対した演奏家はいませんでした)、響きや動きを、皮膚を触れあわせるようにして接近させていく過程がたどられたように思います。初共演ならでは、女性ならではの触覚的なセンスが前面化したセッションでした。

水槽のなかのように青一色となった会場。上手端の床のうえに本田ヨシ子さんが着座すると、花嫁のようにヴェールをかぶった田村のんさんが、出入口の扉から背中向きで入ってきました。黒いワンピースの衣装に白塗りをした田村さんは、天井を仰ぐようにして身体を大きくのけぞり、ヴェールを床のうえに落とすと、壁際まで後退して赤くなった照明を真正面から見据え、つま先立って両手を前でクロスさせたり、壁にもたれかかって左足を少しあげたりしました。上手下手の床からくる強い光には、喜びの表情を作りながら床のうえに頬をつけ、尻をあげ気味にして身体を丸くするという具合。床にうつ伏せになる姿勢は4人のダンサーが共通してとった形のひとつで、器械体操のように脚をあげる田山さん、顔に豊かな表情が出る田村さん、これ以上なく床に沈みこむ今野さん、石のように身体を丸める横滑さんと、独舞ではなかなか感じることのできない触覚の特異性が大きく出る場面になりました。ただ一人、仰向きになることで自由になる手足を動かして形を作ったのは横滑さんだけでした。田村さんのみせる表情の変化、特にその視線には動物的な感覚があり、喜怒哀楽の感情もほぼ裸、かもしだされるエロチシズムにも凄みがありました。最後は再びヴェールをかぶって扉口から退出していくという幕切れ。

開演前の時間帯、下手に背中向きで立った今野眞弓さんは、北辰舞踏派の大竹宥煕さんから背中にト音記号のような字を揮毫してもらい、いつもとはまったく雰囲気の違う即興セッションに挑戦されました。お相手の演奏家はダンスとの共演で百戦錬磨のノブナガケンさん。ダンサーが油断すれば、音による演出に簡単に巻きこまれて踊らされてしまいますが、今野さんもそこはしたたかに、低く、低く身体を構えて床との対話に集中しつつ、観客や共演者との身体的な距離を測っていくという舞踏をされました。観客席前での往復運動、うつ伏せになって静止した状態から身体を起こし、動物のように這いながら演奏家へ接近、下手の壁前で立つとともにコーナーを歩きつくし、会場を一周したところで壁へと直進、最後の最後で彼女のトレードマークになっている足踏みがあらわれました。最初の場面で沈黙を守り、共演者の様子をうかがっていたノブナガさんは、この間にフレームドラムからウクレレへ、さらにハーモニカへと楽器を持ち替えて音を出し、今野さんの足踏みとハーモニカがアンサンブルした瞬間に暗転となりました。初共演というには、見事すぎる幕切れだったと思います。

漆黒の闇のなかからぼんやりと浮かびあがる横滑ナナさんの顔と上半身。下手の床からやってくる暗い光が上手の天井付近も照らし出し、セッションの雰囲気はがらりと変化しました。そのすぐ横、上手側の椅子に座り、あれこれと手のしぐさをしながら生の声を発する本田ヨシ子さん。音楽よりもダンスに近い声のありようは、これまでの試行の積み重ねによるもので、彼女の新境地といえましょうか。紫のロングドレスを着た横滑さんは、目のあたりに赤い紅をはいた白塗り姿、春を愛でて髪に挿した桜が、クチナシの花を飾ったビリー・ホリデイを連想させるドラマチックな装いで、ときに幼女に見まがう幻想性をたたえていました。それとは対照的に、特定できるような意味を明示しない、まるでなにごとかを言いさしたまま次にいくような曖昧な動きの連なりは、言外にある身体の存在を強く意識させるもので、大きな変化をみせた昨年の『狂私曲』(11月21日)公演から、今年の6月に予定されている『ゆふつづ抄』公演へと展開される(であろう)舞踏の内実を示すもののように感じられました。キッドは今年いっぱいで閉業となりますが、緊張とリラックスが適度にバランスした本シリーズは、どこかに会場を移してぜひとも継続してもらいたい舞踏プロジェクトです。■

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