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04.18
Mon
【キッドアイラック・アートホール4月10日〜11日
表相標本箱Ⅱ 舞踏作品「死の棘」スタッフとして立会ました】

主催で主役でもあるAya Tanakaさんから、「稽古にも立ち会ってほしい」との連絡もあり、
スケジュール都合で立ち会えたのは直前の1週間前の稽古から。
実際は、この公演の稽古をスタートする当初から、
出演者と、コントラバスを吊ってその綱もとを操作するスタッフ、映像記録するスタッフが
がっちりと稽古場に常に立ちあって、意見をだしあいつつ進めていくという形でした。
遅ればせの稽古参加ですから、本質的な意見は言えず、踊りとしての所作的なことや、
見え方のようなアドバイスに終始したような感じでした。
私自身、こんな風にスタッフとして作品づくりに関わることは初めてでしたので、
ある意味で、真剣にこの公演の在り方を考えました。

最終日を観ながらにしてわかったことは、
この舞台は、舞踏作品「死の棘」ではなく、
表相標本箱Ⅱ「死の棘」である、あるいは、
演劇作品「死の棘」だということ。
宣伝の途上で、「舞踏」と銘打ち「演劇ではない」と説明している舞台であることに対し、
私が過剰にこだわってしまったのかもしれませんが、
稽古中から本番までの作品としての作り方や、考え方、思考にどうしても疑問符が多くなっていた事を、
直前の稽古にしか関わっていないのに、この事を話すことは時間的にも無責任だと思い、しまってきました。
また、こうしたつくり方が、舞台として「舞踏」として可能性があるのかどうか?
それは蓋を開けてみないと解らないよな、という期待もありました。
でも、終わってみて、やはり、しまったままにしておくと、
私自身が「次」へ向かっていけないと思いました。
もちろん、出演者、スタッフの方々、皆さんそれぞれ「次」の舞台と、日常へ向かっている今。
私の自分勝手な自意識とか我欲にすぎないのですが、
文字にしておくこと、公にしておく事も大切かなと思いました。
なによりスタッフとして「横滑ナナ」の名前で参加した責任とかからも。

物語も空間も、「踊り」が立ち上がってこそ、形づくられるものだと思います。
それが舞台であるとも思います。

私が感じていた違和感は、
このことと逆のベクトルで稽古が行われてきていることでした。
結果、今回の「死の棘」には「踊り」は存在せず、
美術と既存の物語のために於かれた体があるということ。
唯一、コントラバス(役名マヤ)河崎さんはその空間を原点へ壊そうとするかのようなパフォーマンスであったために、
私は救われました。

何を踊ろうとし、
原作「死の棘」の世界の、何を伝えたかったのか。
原作にあるシーンや理論やイメージや外側の映画や美術のそれではなく
出演者それぞれの、今までの人生経験や思いの全てから、
身体が勝手にこぼしてくるものを、最初に抽出するべきではないか・・・・
そこには自分の内側をえぐり続ける強烈な孤独な時間が存在するはずです。
そしてそれは稽古はもちろん本番終わるまで続き、刷新され続けることです。いわばM的な。

ある意味ではその時間こそが踊りであり「舞踏」だとも思います。
舞踏を観たいお客さんの多くは、それを期待しているのではないかと思います。(私の経験上)
踊りさえたちあがっていれば、コントラバスを吊らなくても、落ちてくる鍋がお客さんに見えるはずだし、
半紙をしかなくても、ばらまかれた原稿用紙が空を飛ぶのがみえたはずです。
順番が違うな、と・・・。
踊り手のお客様(特に舞踏の)の多くが、「舞踏」と銘打たれたものに何らかの期待をして観に来て、
結果、
「身体がなにも存在しない」その要因として「つくりかた」の問題を指摘していることも、
私に届いてきた感想でもありました。
では、私も当初から稽古に参加し、その進め方と考え方について自分の考え方をしまうことなく話していたら、
本番へ向けて変わったのか??ということも考えました。
でも、結論は変わらないであろう事、結果的に混乱をまねき余計な遠回りをするに過ぎず、
結果は同じであっただろうと思いました。
なぜなら、「今までの数十年、ずっとこのやり方を愛おしく感じて続けてきた身体」が稽古でみえたからです。
それを完全否定できるほど、彼らとの関係は深くないということ。
それでも・・・関わった以上はなにかしら、表明すべきだったのでしょうか??無責任、だったでしょうか??

演劇作品だとすれば、言葉(せりふ)のない世界観を作り上げた斬新な「死の棘」として素晴らしい舞台といえます。
また、表相標本箱という言葉にもフィットする「物語」「身体」「即興音楽」の位相的な在り方、
としてやはり斬新な舞台です。
そうした意味で、センスよく美しい舞台でした。

ただ、私は舞踏家と名乗り、
そのリスクに対して全部の覚悟をきめていろいろと損をしながらやり続けているので、
どうしても意見として表明しておきたいと思いました。
・・・というのも、私もまだまだ、そういう自意識の呪縛にとらわれているということですから、
舞踏を語るなんてできないはずなんですけどね。

何はともあれ、皆さんの力が結合し最大の努力をしたこと、
当日券の入場を制限するくらいに多くのお客様がいらっしゃった事で、
ほんとうによい春の舞台となったこと、、は間違いありません。
本当に良かったと思っています。

そして、関わらせていただけた事に感謝いたします。
皆様の次なる挑戦の旅を応援いたします!!
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